リアルな学びこそ血肉となる

今、ネットではアフターコロナについて、インフルエンサー達がこぞって予想しています。

その内容は、大まかに以下の2つ。

「人との接触機会が減る」 「人が移動しなくなる」

もう既にそうですが、感染終息後もこの状況は続くでしょう。

仕事はリモートワーク、エンタメ業界はライブ配信、学習やセミナーはZoom等を用いるのが当たり前になります。

確かに、出社やリアルな会議がなくなって全てがオンライン化されることで、企業も経費を縮小でき、今後も起こりえるであろうパンデミックの備えにもなることから、社会全体のデジタル化が加速すると思われます。

そんな時代の動きを、逆にビジネスチャンスに変えようと発信している起業家や評論家も少なくありません。

中には、新たなルネッサンスになるとまで言っている人もいるようです。

でも、私はそうは思いません。


旅で例えてみましょう。

働いてお金を貯め、待ちに待った休暇。

長時間、列車に揺られ、バスを乗り継ぎ、登山道を歩いて、やっとの思いでたどり着いた、憧れの滝。

滝の水が叩きつけられる音を耳で聴き、体中で水の粒子を浴びる。

現実というスクリーンと臨場感溢れるサウンド。

パソコン上で、同じ滝を見たとしても、このように心の底から感動できるでしょうか?

 


空手だってそうです。

週に数回、会社帰り。

お腹の底から声を出し、利害関係など全くない仲間達と切磋琢磨しながら技を磨く。

足の裏に伝わる床の冷たさ。

ほとばしる汗。

そして、体の奥底が熱くなる感覚。

間近で師匠の教えを、目と耳と肌を総動員して、腑に落とす。

実践の場だからこそ、ナチュラルに心と体が鍛えられていく。

Webやフィットネスゲームで、武道の奥ゆかしさを学ぶことは到底できません。

 

何もかもが、そうです。

先人の魂を感じる、文化遺産の数々。

厳しくも美しい大自然への畏敬の念。

人と人が交わることで、感じる優しさや生まれてくる向上心。

このように、いくらデジタル化が進んだとしても、人の魂までは、コントロールできないのです。

実はこのことは皆さん、体感的にわかっています。

しかし今、ヨガやジムをはじめとするスポーツ系の習い事は苦境に立たされており、武道教室も例外ではありません。

オンラインのような画面上ではなく、同じ空間にいるからこそ、技術や心と体の使い方は伝わるもの。

一時的には、習い事もWeb上での遠隔指導が増えていくかもしれませんが、感染終息後は、いずれ以前のような日常が戻ってくるはずです。

なぜならば、人から人への気持ちの伝播が、お金では買えない人生の財産になることを、誰もが理解しているからです。

振り切ったモノは必ず戻されてくるといった振り子の原理というものがあります。

つまり、効率的だと思っていたオンラインなどの二次元的な学びに、違和感や物足りなさを感じる人達が必ず出現するということです。

よって私は、アフターコロナとは、成長や進化を、よりリアルに感じたいという人間の本能が爆発する時代だと予測します。

人は感動せずにいられない生き物なのですから。

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