空手の技術は、力を足せば足すほど良くなるわけではありません。
むしろ、強く出そうとした瞬間に呼吸が乱れ、軸が傾き、技は濁ります。
大切なのは、不要な力を抜き、動きを急がず、正しい位置に体を置くこと。
骨盤、背骨、足裏。
土台が決まると、形は無理なく整いはじめます。
散っていた感覚が、足裏から骨盤、背骨へとつながり、四肢すべてのタイミングが噛み合って、技は澄んでいきます。
稽古とは、「何かを足す時間」よりも、「余計なものを削る時間」、あるいは「鎮める時間」なのかもしれません。
では、何を削るのか。
それは、
「体のくせ」と「思考のくせ」です。
どこで肩が上がるのか。
どこで息が止まるのか。
どこで腰が逃げるのか。
どんな場面で雑念が入り込むのか。
稽古の中で、淡々と確認します。
答えは、すぐに言葉にならなくても構いません。
反復の中で、ある日ふっと「これか」と分かる瞬間が訪れます。
その瞬間のために、今日も昨日と同じことを、丁寧に行う。──考えながら、深く。
それが「削る」ということ。「鎮める」ということなのです。
確認の仕方も、難しく考えなくていい。
一回の形で一箇所だけ観察点を決める。それで十分です。

詰まりを取り、無理やムラをなくし、動きの純度を上げていく。
そうしてはじめて、その人らしい形が育っていきます。
ただし、その過程で気をつけたいことがあります。
それは、他人の上手さを基準にして、自分を測りすぎないこと。
見るべきは、昨日の自分との差分です。
息が浅くなるところ。軸が逃げるくせ。間合いがずれる瞬間。
気づく点は、いくらでも出てきます。けれど、全部は見なくていい。一日一つ、二つで十分です。大事なのは積み重ねです。
焦りが出たときは、まず呼吸を整える。
吸って、吐いて、足裏に体重を落とす。
それだけで、余計な緊張はほどけていきます。
稽古は、ときに感情の扱い方も教えてくれます。
意味づけや結論を急ぐほど、動きと同じように、心までが硬くなる。
そんなときは、いったん保留し、やるべき手順に戻る。
姿勢、呼吸、足運び、目線。
基本に立ち返れば、余計なものは自然と収まっていきます。
こうした感覚は、稽古の外でもふと重なることがあります。
「意味づけを急がない」は、日常でも同じように役に立ちます。
以前、病棟に届ける絵本を選んだことがあります。
余計な意味づけをせず、ただ必要な場所へ届くようにする。そうすると判断が濁らず、自然と目的に沿っていきます。
沈殿させたものを無理に掬い上げれば、水はすぐに濁ります。
それでも、
観察は続けます。
ただ、決めつけない。
無理に見ようとしない。
そのままにしておく。
呼吸と姿勢は手放さずに。
水が澄むように、時とともに技も澄んでいきます。
目線を遠くに置き、肩を下げる。
うまくやろうとせず、「濁った瞬間」を一つ見つけられれば十分です。

無理に意味を探さない。
判断を急がない。
粛々と、繰り返し、ただ待つ。
やがて、
色のない輪郭が浮かび上がり、心と体が、同時に納得する瞬間が訪れます。
そのときも、呼吸と姿勢は手放さずに。
おそらく他のことも同じです。
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